世の中、どうにもできない事がたくさんある。
例えば、願い事だったり、相手への思いだったり。
そして、
究極が、死ぬという事実。
昨日友達のお父さんが、急性心臓病で亡くなった。
亡くなったすぐに、友達から10回以上の着信がかかってた。
気がついて、お昼におりかえししたら、、、。
男友達だけど、号泣していた。
いつもしっかりしていて、おだやかな人。
父親の死が受け入れられなくて、
苦しんでいる。
誰しも親がなくなるとは、そういう事なのだ。
そのような苦しさは、想像でしかできない。
自分の親は幸いなことに健在だから。。
想像するだけでも、怖いのに。
それが事実となれば、気絶しそうだ。
だれしも、親と子供とは境界線があり、
その境界線をお互いに越えることなく、
親が逝けば、
そのことに子供は後悔し、
自分の罪に苛まれる。
そして、親との記憶は美化される。
親が正解であって、自分は誤りだと。
あたしもそれにあたるだろう。
親とは、やはり越えることのできない、
強い力をもっているものだ。
違う友達に相談したら、
『一番話したい相手に選ばれたんだね。』といわれた。
一番はなしたい相手。。。。
その私は、その友に何もいえなかった。
何も言えないのは、あたりまえで、
自分の中に、それに該当する悲しみは想像でしかない。
あたしが、あーだ、こーだ言えれるレベルでないのだ。
うん、うんと、うん、そうだね、うん、うん。
うん、が切なく心に響いた。
一言だけ、まだお父さんと沢山はなしたかったという友達に。
『まだ間に合う。まだ近くにいるから話しかけなさいと。』
そのことだけを伝えた。
そしたら、父親への思いを、私のメールに入れてきた。
読むたびに、正直こちらも苦しい。
それほど意思が強い自分ではないから、
あたしも引っ張られそうだ。
辛い。
そして、今日メールで友達は会社を辞めた事を伝えてきた。
あたしはどうすればよいのだろうか。
父親はそんなことは望んでないよ。
そんな事をして、喜ばないよ。
と、いえばいいのだろうか。
本当にそのとおりだが、
そんなこと、言われても自分自身が同じ立場だったら、
全く耳も貸さないだろう。
同じく仕事をやめて、
どこか遠くへいくだろう。
やはり、何もいわず、
その友達の思いがおさまるまで、
自由にやらせるべきだろうか。
悩む。
友達だから、言う。
友達だから、言わない。
いつも相手のことを考えるが為に、
自分の意見は言わない。
友達が一番ほしい、答えを伝えたい。
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